映像グループ前田です。
今回、とあるスタジオさんが解散してしまった、という悲しいお話をさせていただこうと思っております。
組織が解散とは穏やかな話ではないですが、狭い業界ではあるので、仕事を続けてさえいれば必ずどこかで会えるだろうという楽観的な気持ちもどこかにあるんですけどね。
さて、映像の仕事にはいくつかキーとなる工程がありまして、ウエイトが高めなのが”撮影”です。
その撮影が終わると、"ポストプロダクション”という過程になだれ込んで行きます。
オフライン編集、グレーディング、本編集、MA...
CMだったら原版を重畳して、オンエアプリントなんかも作ったりします。
解散してしまったスタジオには、撮影を仕切れるチームがいて、ちょっとした広さの白ホリの撮影スタジオがあり、もちろんオフライン・オンラインのEDITルーム、MAルームがあったりと、制作に関するかなりの範囲がカバーできる、僕からすれば頼れるチームといった感じでした。
最後の挨拶がてらにビルを巡ったのですが、
思えば、地獄のような苦労から、完成した安堵の瞬間までも、ここで過ごしたんだなとなかなかに感慨深い時間を過ごしました。
大先輩のDITに怒られながらデジタル現像をあげてもらったり...
太った人を15人ぐらい踊らせて、広いスタジオが部室みたいになったり...
クライアントにお詫びを入れる席を設けてもらったり...
オフラインを終えて、エディターと帰ってる時に、データが飛んだと電話がかかってきて、引き返
して朝までにもう一回オフライン編集したり...
大雪でオンエアプリントが局に入るか入らないか営業部長と気を揉んだり...
制作という仕事をしていると、一番多く作品とともに過ごす(拘束されるとも言う)のですが、
その中でも間違いなく、歴代一番時間を過ごしたスタジオでした。
場所とともに紐づいた記憶というものは、なかなか悪いもんじゃないな。(こんな思い出ばかりでも)
こんなご時世だからこそ、家にいて強く思います。
さよならだけが人生だ、とも言いますが、
またどこかで同じ人と会えて<(違う場所でも同じ場所でも)仕事ができると思えば、人生それも悪くないですよね。