戦国武将とチンパンジー

お盆に京都の舞鶴という、海に面した街に旅行に行きました。
日本海側有数の港で、旧日本海軍や海上自衛隊の大規模な基地や横浜や函館のような赤レンガ倉庫もあり、
また僕が大好きな岩牡蠣の名産地でもあります。
舞鶴の魅力はそれだけではなく、ここに行った最大の目的は田辺城というお城でした。

舞鶴湾のリアス式海岸|五郎岳から

田辺城は、中世、戦国時代の終わりごろから江戸時代の終焉まで現役だったお城なのですが、
この城を最も有名たらしめているのは、1600年6月に起こった「田辺城の戦い」です。
同年に起こった関ケ原の戦いの前夜、徳川家康ははじめ会津の上杉景勝を攻めようと大阪から北進していました。
その隙を突いて、石田三成は家康方に着こうとする畿内の有力武将を調略、攻撃していったのですが、
その対象には熟練の老将、細川藤孝(幽斎)が含まれていました。

この、細川幽斎という人物は、室町幕府13代、剣豪将軍と謡われた足利義輝に仕えていたものの、裏切りによって主君を失くしてから、
足利義昭、織田信長、羽柴秀吉、徳川家康と、常に天下人の勝利に貢献してきた影の実力者とも言える武将なのです。
ちなみに、2024年のアメリカのドラマ「SHOGUN-将軍-」に、この時代の細川幽斎と前田利家をミックスしたようなキャラクターが登場して、
演じていた西岡徳馬さんがかっこよかったです。
そんな幽斎は武士としてだけでなく、茶の湯や和歌の世界でも大変な実力者で、「古今伝授」のこの時代唯一の継承者でした。
「古今伝授」とは、古今和歌集の秘伝の解釈のことで、平安時代末期ごろ(時期は確かではないと言われています)からずっと、
師から弟子へと受け継がれた知識であり、歴代の継承者は弟子の中でも授けることのできる特別器量がある者にしか受け継がないため、
同じ時代に継承者は2,3名ほどしかいない、という、大変に歴史と価値のある知識だったと言われています。
秘伝の「解釈」だから、継承する弟子の選択や、人数を誤ると、時と共に形質変化してしまいそうですね。
 

細川幽斎の木像|今にも目が開きそうなほどリアルでした
 

話は田辺城の戦いに戻ります。
この田辺城の戦いのとき、幽斎は66歳、家督も息子の忠興に譲り、
現在の京都北部、丹後地方に隠遁していました。
西軍派の1万5000人の軍勢に追われ、沿岸の田辺城に籠った時、幽斎の手勢は500名のみ。
まるで、古代ギリシャのテルモピュライの戦いのようですが、
細川幽斎とレオニダス1世は戦い方もその結果も正反対でした。
城を攻める西軍の中には、細川幽斎のお茶の弟子や和歌を習っている門下生の武将が大勢いました。
そのため、彼らは攻撃をするフリをして、田辺城の落城を引き延ばしにし続けました。
その中には、自から戦闘意欲が無い者もいれば、幽斎自信がそう仕向けて、空砲を打ち続けた、という武将もいます。
さらに、京都の身分の高い公家の中で、「古今伝授」の喪失を恐れる人物が当時の天皇に働きかけ、
攻め手の総大将のもとに講和せよとの勅命が下り、細川幽斎以下500名は助命となります。1万5000の西軍は田辺城を落としたものの、
長期戦のせいで本戦の関ケ原には間に合わず、政争では敗者側となります。
ひとつの戦いでは敗北しつつも、大局の盤面で勝利に大きく貢献する。
しかも、武力を使っていないという、66歳らしい活躍が、この話の細川幽斎の魅力だと思います。
 

田辺城跡の資料館|近くの市場で食べられる牡蠣がおいしかった
 

ところでなぜ、チンパンジーが話に関係してくるのか、というと、
最近読んだ本に、「チンパンジーと人間はゲノム解析の結果、DNAのちがいはおよそ3%である」という分析結果が提示されていて、
更に、「その3%の中に、言語、火、道具の使用、完全な二足歩行などの要因となる違いが含まれている」というのです。
また、チンパンジーは人間と同じように、条件が揃えば、「自分たちとは違うグループ」に対して攻撃的になり、相手のグループを根絶やしにするまで滅ぼすということがあるそうです。
もし、その説が正しいとすると、「田辺城の戦い」がおもしろいのは、
「言葉」で作られ、継承されてきた宝=「古今伝授」を、
武将たちが紡いできた人間関係や、策謀、権威からの勅命といった「言葉」を使って守った、
という部分は、人間にしかできない行為であり、
自分たちでないグループを滅ぼそうとするという、
他の動物にも許されている行為となり合わせにそれが行われたからなのかな、と思いました。
 

霊長類の系統図|ゴリラからボノボになっていく途中の”ヒト”が、独自に進化したのが我々らしい。
 

「宇宙人が人間を見たときに、記号の羅列を見て涙を流したり怒ったりする、奇妙な生物だと思うだろう」
と言っていたのは誰だった忘れました。
普段、仕事中でもそうでなくても、大量の言葉を見たり聞いたり、打ち込んだり発したりしますが、
根拠の曖昧なものとか、真実でないこととか、抽象的あるいは具体的過ぎるもの、
悪意があったり、誤解を招くような言葉も、自分が目にする者の中には多い気がします。
もしかしたら、田辺城の戦いの伝説も、チンパンジーのゲノム解析の結果も、あと200年経ったらまったく違う物語になっているかもしれないという意味ではその類のものと言えるかもしれません。
が、映画や小説のストーリーで心を動かされるように、
言葉の連なりを通して、何か感じるものがある、何か洞察を得られるというのが重要だと思います。
66歳になった時に、言葉を正確に上手に扱えるように日頃からより一層気にしたいなと思いました。

でも、チンパンジーと共通する特性を発揮しなきゃいけない瞬間だってありますよね。
例えば、重いものを持ち上げるときとか。

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